自然に触れる機会が少なくなったベトナムの都会っ子たちのために、
レジャー感覚で野菜作りができる体験農場を運営しています。
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お母さんたちは僕の農場の活動を通して、「子供たちに安全な食べ物を食べさせたい」、「子供たちに食べ物の大切さを教えたい」、「子供たちが自然に触れる機会を与えたい」といったことを考えているようですが、お父さんはちょっと違った目的(下心があって)で参加しています。
やっぱり農作業で汗を流した後は、「きりっと冷たいビールを一杯」というのが最高の楽しみですよね。家族揃ってバーベキューの前に、お父さんは枝豆でも摘まみながらビールをいただく。ということで、お父さんが植えたい作物のリクエスト第一位は枝豆なのでした。
ベトナムのスーパーマーケットでも、ゆでて冷凍された枝豆が売られていますが、やっぱり採りたての枝豆をゆでで食べたらおいしいと思うのです。私が子供のころは、まだ根っこに土の付いたままの枝豆をおじいさんが買って来て、それを玄関の横の水場で洗い、ゆでたての枝豆をうちわで煽いで冷まして食べる(子供はおじいさんのおこぼれをもらって食べてました)というのが夏の風物でした。
冷凍の枝豆でビールを飲むのはやっぱり味気ないし、むかしおじいさんが枝豆をゆででくれた懐かしい思い出を子供にも共有させてあげたいので、枝豆が育つのが楽しみです。枝豆ができたらYさんとTさん(お父さん仲間)を誘いますので、楽しみに待っていてくださいね。
ちなみに、子供たちが楽しみにしているスイカですが、お父さんはスイカの種を出しながら食べるのが面倒臭いのと、子供の時におばあさんから「夜にスイカを食べるとおねしょするよ」と叱られた記憶が残っていて、今でもあまり好きになれないのです。
やっぱり農作業で汗を流した後は、「きりっと冷たいビールを一杯」というのが最高の楽しみですよね。家族揃ってバーベキューの前に、お父さんは枝豆でも摘まみながらビールをいただく。ということで、お父さんが植えたい作物のリクエスト第一位は枝豆なのでした。
ベトナムのスーパーマーケットでも、ゆでて冷凍された枝豆が売られていますが、やっぱり採りたての枝豆をゆでで食べたらおいしいと思うのです。私が子供のころは、まだ根っこに土の付いたままの枝豆をおじいさんが買って来て、それを玄関の横の水場で洗い、ゆでたての枝豆をうちわで煽いで冷まして食べる(子供はおじいさんのおこぼれをもらって食べてました)というのが夏の風物でした。
冷凍の枝豆でビールを飲むのはやっぱり味気ないし、むかしおじいさんが枝豆をゆででくれた懐かしい思い出を子供にも共有させてあげたいので、枝豆が育つのが楽しみです。枝豆ができたらYさんとTさん(お父さん仲間)を誘いますので、楽しみに待っていてくださいね。
ちなみに、子供たちが楽しみにしているスイカですが、お父さんはスイカの種を出しながら食べるのが面倒臭いのと、子供の時におばあさんから「夜にスイカを食べるとおねしょするよ」と叱られた記憶が残っていて、今でもあまり好きになれないのです。
ベトナムで有名な野菜の産地はどこかと聞くと、ほとんどの人から「ダラット高原」という答えがかえってきます。確かに、ニンジン・ジャガイモ・ピーマン・レタス・ブロッコリーなど多くの野菜は(涼しい気候に適した作物だからでしょうか)、ベトナム中部のダラット高原で栽培されています。
「僕の農場」のあるクチはといえば、ベトナム戦争の戦績地クチトンネルで有名ですが、実は近郊農業が盛んに行われている野菜の産地だということはあまり知られていないようです。ホーチミン市内のスーパーマーケットなどで売られている野菜の多くはクチで栽培されたものです。
前の記事で書いたトウモロコシ・ピーナツ・トマト・オクラなどの種はクチにある園芸店で購入したのですが、いくつかの作物の種は売り切れ状態で、ホーチミン市の中心にある種会社本社まで行かないと買えませんでした。
野菜の産地近くのほうが種を手に入れやすいと思ったのですが、ホーチミン市の住宅街にある種会社(事務所兼倉庫になっている)まで買いに行かなければならないとは思ってもみませんでした。クチの農家の人に聞いたところ、「よくホーチミンの中心まで種を買いに行くよ」ということでした。
(その2に続く)
「僕の農場」のあるクチはといえば、ベトナム戦争の戦績地クチトンネルで有名ですが、実は近郊農業が盛んに行われている野菜の産地だということはあまり知られていないようです。ホーチミン市内のスーパーマーケットなどで売られている野菜の多くはクチで栽培されたものです。
前の記事で書いたトウモロコシ・ピーナツ・トマト・オクラなどの種はクチにある園芸店で購入したのですが、いくつかの作物の種は売り切れ状態で、ホーチミン市の中心にある種会社本社まで行かないと買えませんでした。
野菜の産地近くのほうが種を手に入れやすいと思ったのですが、ホーチミン市の住宅街にある種会社(事務所兼倉庫になっている)まで買いに行かなければならないとは思ってもみませんでした。クチの農家の人に聞いたところ、「よくホーチミンの中心まで種を買いに行くよ」ということでした。
(その2に続く)
もうずいぶん前から、ベトナムでも食の安全がテーマになっているニュースをよく見かけるようになってきました。
残留農薬、化学肥料の乱用、家畜・養殖水産物の餌に成長促進剤を使用、家畜の伝染病、基準を超える食品添加剤、食品賞味期限の改竄など、ほぼ毎日のように新聞・テレビ・インターネットで目にします。
中国でもかなりひどい状況になっているようですが、ベトナムも似たような状況になってきているようです。特にベトナムの北部は国境が接していることもあり、中国から輸入された安全ではない食品が大量に出回って問題になっています。
いま食べている食品は大丈夫かと心配しながらも、本当に安全な食べ物がどこにあるのか信用できるところもなく、かといって食べないわけにはいかなので仕方がなく、もうあきらめに近い気持ちで食べ物を口にしているような毎日です。
近年ベトナムでも拝金主義的な考えがはびこり、若者たちが貧乏な農村・漁村を捨てて都会に出ていくといった状況になっています。都会に住んでいる人々は生産者を軽視し、生産者と消費者のつながりはなくなってしまっています。貧乏で苦労している農家の人々が、自分たちを尊重しない都会の消費者のために、安全な作物を提供しようという使命を感じながら労働できるとは思えません。
食品の生産に対する考え方にしても、自然の恵みをいただいて「生きる糧」を得るということから、「食べられる商品」をいかに効率的に製造するかという大資本の原理に変わってしまったように感じます。
また、核家族化・夫婦共稼ぎ・時間に追われる都会の生活への対応・外国文化の浸透などもあり、利便性を追及するため加工品・冷凍食品・ファストフードなどが多くなってきました。これにより食品に保存料・防腐剤などを添加するのが当たり前になり、またプラスチック・ビニール袋などの包装材によるごみ問題も発生するようになっています。
近代化が進むにつれ、以上のように様々な原因が絡まって、食の安全が脅かされるようになってきています。
ベトナム政府のほうも近代化・工業化を推進する方針で、農・漁業をないがしろにしているように感じます(近代化というのは、工業化とイコールではないと思うのですが)。ベトナムの英雄であるホーチミンおじさんは、「農業と工業は2本の脚であり、両方の脚が丈夫で初めて早く歩くことができる」というようなことを話していたそうです。
過去には日本も工業化を推し進めるうえで、出稼ぎ労働者の確保のために故意に農業をつぶしたのだとの指摘もあります。そして現在の日本は、先進国の中で最も食料自給率の低い国に数えられるようになってしまいました。
ただ、ベトナムでも子供たちに安全な食べ物を与えたいという母親たちが増えてきているのも事実で、希望の光がないわけではないと感じます。ベトナムには日本と同じ失敗をしないようにしてもらいたいと心から願っています。
そして、その思いを実際の行動で示したい、僕の農場(Nông Trường của Em)を始めたのも、まさにここが原点の考えになっています。この活動が、ベトナムの人々が食の安全・食べ物の大切さ・労働の意味などを考えるきっかけになってくれれば本当に幸いです。
農業は遊びじゃないと叱られるかもしれませんが、家族そろって実際に農業を体験してもらい、その楽しさや苦労を通して自然に理解してもらうほうが、理詰めの観念だけを押し付けるよりよほど効果があると思います。
まずは自分の家族・親戚や友達に参加してもらうところからスタートし、小さな努力でも日々積み重ねていけば、必ずいつかベトナムの社会全体がよくなっていくはずだと信じて続けていきます。
残留農薬、化学肥料の乱用、家畜・養殖水産物の餌に成長促進剤を使用、家畜の伝染病、基準を超える食品添加剤、食品賞味期限の改竄など、ほぼ毎日のように新聞・テレビ・インターネットで目にします。
中国でもかなりひどい状況になっているようですが、ベトナムも似たような状況になってきているようです。特にベトナムの北部は国境が接していることもあり、中国から輸入された安全ではない食品が大量に出回って問題になっています。
いま食べている食品は大丈夫かと心配しながらも、本当に安全な食べ物がどこにあるのか信用できるところもなく、かといって食べないわけにはいかなので仕方がなく、もうあきらめに近い気持ちで食べ物を口にしているような毎日です。
近年ベトナムでも拝金主義的な考えがはびこり、若者たちが貧乏な農村・漁村を捨てて都会に出ていくといった状況になっています。都会に住んでいる人々は生産者を軽視し、生産者と消費者のつながりはなくなってしまっています。貧乏で苦労している農家の人々が、自分たちを尊重しない都会の消費者のために、安全な作物を提供しようという使命を感じながら労働できるとは思えません。
食品の生産に対する考え方にしても、自然の恵みをいただいて「生きる糧」を得るということから、「食べられる商品」をいかに効率的に製造するかという大資本の原理に変わってしまったように感じます。
また、核家族化・夫婦共稼ぎ・時間に追われる都会の生活への対応・外国文化の浸透などもあり、利便性を追及するため加工品・冷凍食品・ファストフードなどが多くなってきました。これにより食品に保存料・防腐剤などを添加するのが当たり前になり、またプラスチック・ビニール袋などの包装材によるごみ問題も発生するようになっています。
近代化が進むにつれ、以上のように様々な原因が絡まって、食の安全が脅かされるようになってきています。
ベトナム政府のほうも近代化・工業化を推進する方針で、農・漁業をないがしろにしているように感じます(近代化というのは、工業化とイコールではないと思うのですが)。ベトナムの英雄であるホーチミンおじさんは、「農業と工業は2本の脚であり、両方の脚が丈夫で初めて早く歩くことができる」というようなことを話していたそうです。
過去には日本も工業化を推し進めるうえで、出稼ぎ労働者の確保のために故意に農業をつぶしたのだとの指摘もあります。そして現在の日本は、先進国の中で最も食料自給率の低い国に数えられるようになってしまいました。
ただ、ベトナムでも子供たちに安全な食べ物を与えたいという母親たちが増えてきているのも事実で、希望の光がないわけではないと感じます。ベトナムには日本と同じ失敗をしないようにしてもらいたいと心から願っています。
そして、その思いを実際の行動で示したい、僕の農場(Nông Trường của Em)を始めたのも、まさにここが原点の考えになっています。この活動が、ベトナムの人々が食の安全・食べ物の大切さ・労働の意味などを考えるきっかけになってくれれば本当に幸いです。
農業は遊びじゃないと叱られるかもしれませんが、家族そろって実際に農業を体験してもらい、その楽しさや苦労を通して自然に理解してもらうほうが、理詰めの観念だけを押し付けるよりよほど効果があると思います。
まずは自分の家族・親戚や友達に参加してもらうところからスタートし、小さな努力でも日々積み重ねていけば、必ずいつかベトナムの社会全体がよくなっていくはずだと信じて続けていきます。